私と音楽との関わり

現在私は趣味としてバイオリンを弾き、好きな音楽の分野もクラシック(現代音楽は除く)ですが、子供の時はクラシック音楽とは全く無縁の環境でした。

私が小学生のころは、歌と言えばラジオから流れる流行歌でした。そのころの流行歌はほとんど覚えていて、さらに戦前の流行歌もよく知っていました。白根一男の「君恋いギター」や「はたちの詩集」などにジーンと聞き惚れていたませた子供でした。

君恋いギター

春を待たずに 散ってゆく
花もあるだろ 夢もある
胸に焼き付く 面影が
忘れようとて 忘られず
一人酒場に 来た俺さ

はたちの詩集

花の命の 短さを
初めて知った 哀しさに
青いインクも 滲んでる
めくれば はらはら
涙こぼれる はたちの詩集

クラシック音楽などとは全く無縁で、学校の音楽の時間に習う唱歌ぐらいしか知りませんでした。音楽の時間も嫌で、とくに一人ずつ歌わされる時間が嫌で嫌でしかたがありませんでした。

それなのに小学校6年の時には、学校音楽コンクールの合唱団の一員に抜擢されました。実はこのころから学校の音楽の授業が少し好きになりだしました。そのきっかけは楽典を教わったことだったように思います、嫌だった音楽もこのようにして理論的にできているのだということを知ったからでしょう。

そして中学生になると音楽の時間が好きになりました。芸大を出たての若い音楽の先生にあこがれるようになってきました。その先生が放課後、中学校の音楽室のピアノでレッスンをしてくれると聞きました。私も受けたいと思ったのですが、生徒はピアノを弾ける女生徒だけでしたので、恥ずかしいのであきらめました。今思えば勇気を出してレッスンを受けておけばよかったと思います。この先生のお宅には高校生になってから伺ったことがあります。その時は作曲の勉強をしたくて、和声学の本を紹介していただくために伺いました。その時いただいた下総皖一先生のセピア色に変色した「和声学」の本は、今でも大切に持っています。

中学校2年生の時に、ブラスバンド部ができたので入部しました。このブラスバンド部は、私が「ブラスバンドが欲しい」と提言したことがきっかけで、町の篤志家が資金を出してくれてできたようです。私はクラリネットを選びました。ただし卒業まで続きませんでした。

高校生時代は音楽と遠ざかっていました。時々好きな「マドンナの宝石」の間奏曲や、レイモンルフェーブル、カラベリといったストリングスのきれいなイージーリスニングを聴くくらいでした。

バイオリンを始めたのは大学に入学した時です。各クラブが新入生勧誘をしている場所に行って、オーケストラを見つけました。希望の楽器を聞かれた時、「フルートかバイオリン」と答えたことを覚えています。ストリングスのきれいな音色にあこがれていた私は本当はバイオリンを弾きたかったのですが、バイオリンは経験者でなければ入れてくれないと思い、フルートなら練習すればできるかなと思って控えめに言ったのですが、「それならバイオリンに入って」とあっさり入れてもらえました。先輩が手ほどきをしてくれるというのです。

実は、東京や大阪の大学のオーケストラではバイオリンの経験者でないと入れてくれませんが、地方の大学のオーケストラは弦楽器奏者が足りないのです。そのため幸運にもバイオリンを始めるきっかけができました。

バイオリンと弓ははオーケストラの先輩に選んでいただき、オーケストラの練習日に先輩の指導を受けました。同じような生徒が5人ほどいたでしょうか。半年ほど手ほどきを受けましたが、それからはオーケストラに加わって弾けるところでもいいから弾くことになりました。バイオリン奏法の分厚い本を買って勉強しましたが所詮自己流の域を出ません。自分では弾いているつもりが、周りから見るとおかしな弾き方をしていたのではないかと思います。今でも先生に私の弾き方を真似して指摘され冷や汗をかいています。この時しっかりと先生についていればよかったのです。医学部のオーケストラの先輩に、全日本音楽コンクールで優勝したりっぱな方がいたのです。

大学を卒業してから長い間バイオリンから遠ざかってしまいました。仕事も忙しかったり練習できる所もありません。30歳を過ぎてから、N響を定年退職した方にレッスンを受けましたが、見込がないと思われたのかあまり熱心には教えてもらえず、毎回運弓とフィンガリングを書き込んでもらって帰るようなものでした。

そして40歳ごろ今の先生に出会いました。東京芸術大学でバイオリンの講師をしていた女性の先生です。講師をしていたので教え方が丁寧です。とてもわかりやすく教えてくださいます。最近は少し見込みがありそうだとお思いになったのか、教え方が厳しくなりました。厳しい方がよいです。はいよくできましたでは上達しません。毎回のレッスンで大きな課題をかかえて帰ってきます。それが練習の張り合いになります。

このようなわけで、小学生のころはクラシック音楽など全く無縁だった少年が、今バイオリンでクラシック音楽を楽しんでいます。

私が作曲した曲が1曲だけあります。これは、静岡県島田市に住む、かたかわみちおさんという方の詩集「いつかきっと」の中にあった「月の娘」という美しい詩にメロディーをつけたものです。とてもシンプルなメロディーですが気に入っています。