私とオーケストラとの関わり

バイオリンは大学に入学した時に始めました。大学を卒業して仕事も落ち着いてから、市民オーケストラに入団しました。

最初のオーケストラは、決まった練習場所がなく、都内のあちらこちらの練習場を回っていて大変でしたが楽しいことも多かったです。運営者が意欲のある人で時々突拍子もないことをします。新宿文化センターで、何とヴェルディのオペラ「椿姫」までやったことがあります。オーケストラボックスでの初めての経験でした。この団体は他にもジャズバンドや合唱団などいろいろなジャンルの団体があり、私も運営者の協力で、前から好きだったきれいなストリングスのイージーリスニングを演奏するポップスオーケストラを編成したこともありました。しかし、弦楽器がなかなか集まらず1回のコンサートで終了しました。

次に出会い最も長い間所属したのが「虎の門交響楽団」です。最初は霞が関の官公庁に勤めていた人たちが集まって作ったオーケストラで、その後一般の会社員も加わり大所帯のオーケストラとなりました。練習場所は固定しており、ティンパニーやコントラバスなどの楽器も置かせてもらえるので、恵まれたオーケストラです。練習が平日の夜ということもあり、朝職場に楽器を持って出勤し、仕事が終わってから練習場にかけつけるので、練習に参加しやすいのもよいです。港区のいろいろな企画に参加してもらえて、港区制50周年のイベントでは、サントリーホールで故岩城宏之さんの指揮でベートーベンの第九まで経験させていただきました。

このオーケストラの強みは、弦楽器が充実しているので、他の多くのアマチュアオーケストラのように定期演奏会にトラを呼ぶ必要がないことです。「虎響」と言いながら「トラ」のいないオーケストラです。

最初のころは、港区の葵会館のフラットなホールで、弾いているすぐ横にお客さんがいるというような場所で演奏していました。その後団員の数が多くなったので、ABC会館に移り、さらに手狭になったので、都内の大きなホールに移りました。今はない日本教育会館の虎の門ホールで長い間続けた後、厚生年金会館、東京文化会館、東京芸術劇場、すみだトリフォニーホール、北トピアさくらホールなど様々なコンサートホールを経験することができました。最近は大田区民ホールアプリコを使うことが多いようです。

私が入団したころの練習場は六本木でした。六本木交差点のアマンドの前の坂を下りたところの中学校体育館を借りて練習していました。自然冷暖房のよく効いた場所で、冬にはホカロンをしのばせて、指が冷えるとそれで温まりながら練習していました。練習が終わると、六本木交差点を渡ってすぐの路地を入った所にある居酒屋で、終電近くまで飲んで帰るというのが習慣でした。その後練習場所は変わっても、近くの行きつけの居酒屋を見つけて集まり、酒を飲み交わしながら歓談したのが楽しい思い出です。

年2回の定期演奏会の前に行われる合宿も楽しいものでした。特に練習の後の宴会は楽しい思い出がいっぱいあります。有志が集まってカルテットなどを編成して、初見で演奏することもよくあります。明け方まで弾き続けて、赤い眼をして翌日の練習に臨むようなタフな者もいます。それぞれ仕事が違いますから、会社の仲間などと違って、仕事を忘れて打ち解けあって楽しめていいものです。

一時期弦楽合奏団にも所属したことがありましたが、練習場所が都内にあり、日曜日が一日つぶれてしまうので数年でやめました。迫力もやはりフルオーケストラにはかないません。

地元の鴻巣市にも「鴻巣フィルハーモニー管弦楽団」ができましたので入団しました。練習日が日曜日でしたが、練習場所が近いのであまり苦にならないです。虎の門交響楽団とこの地元のオーケストラの掛け持ちの時期がしばらく続きました。

現在はどちらのオーケストラも退団しています。やめるきっかけは、老眼で視力が落ちて楽譜が読めなくなってきたからです。弦楽器は2人で並んで一つの楽譜を見ますから、どうしても楽譜が遠くなります。交響曲などは長いですから、暗譜することもできません。ようやく初見ができるようになったのに、視力が落ちて楽譜を読むことができなくなるなんて、皮肉なものです。今は、一人だけで好きな曲を練習しています。

 

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